日曜朝の礼拝「かしこより来たりて~使徒信条24~」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

かしこより来たりて~使徒信条24~

日付
説教
望月信牧師
ヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、更に、証人、誠実な方、死者の中から最初に復活した方、地上の王たちの支配者、イエス・キリストから恵みと平和があなたがたにあるように。
わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、わたしたちを王とし、御自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
 見よ、その方が雲に乗って来られる。
 すべての人の目が彼を仰ぎ見る、
 ことに、彼を突き刺した者どもは。
 地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。
然り、アーメン。
神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」(4~8節)ヨハネの黙示録 1章1節~8節

この説教要約には音声ファイルはありません

 キリスト教会は、その初めから「主イエスよ、来たりませ」(黙示録22:20)と祈り続けてきました。天に上げられた主イエス・キリストは再び来られるお方であると、聖書が約束しているからです。しかし、主イエスが再び来られるとは、いったいどんな事柄なのでしょうか。主イエス・キリストは、私たちを罪から解き放つ贖いの御業、十字架の御業を成し遂げてくださいました。その贖いの御業が私たちにおいて完成して、この世界が新しくされるためです。今の天と地を、苦しみも嘆きもない新しい天と地へと造りかえるために、主イエス・キリストは来られます。

 この世界はいまだ未完成です。もちろん、この世界を造る天地創造の御業は完成されました。けれども、最初の人アダムとエバの罪のゆえに人は堕落し、この世界は罪と罪ゆえの悲惨にまみれてしまいました。その罪と堕落から助け出すために、御子イエス・キリストが遣わされ、十字架の贖いの御業も成し遂げられました。しかしなお、その神の恵みの御業が宣べ伝えられ、聖霊が私たちを捕らえて、私たちの内にキリストが生き、私たちがキリストに似る者とされる。この世界が新しくされる、その聖霊の御業はいまだ完成していません。私たち朽ちるべき存在が朽ちないものとされる。罪と悲惨がすべて取り去られて、私たちの目からすべての涙がぬぐい去られる。その聖霊の御業がいまだ成し遂げられていない。世界の完成がいまだなのです。「主イエスよ、来たりませ」とは、この未完成であることを知る者の祈りだと言えるでしょう。

 いまだ未完成であるということ。このことは慰めであり、励ましなのではないでしょうか。私たちは、信仰者とされてなお自分たちの罪を嘆きます。悔いても悔いても罪を犯すことを繰り返します。いったい何と惨めなことでしょう。けれども、私たちは未完成であり途上の存在です。それゆえ、自分を見つめるのではなく、やがて来られるキリスト、信仰の創始者であり完成者であるキリストを見つめます(ヘブライ12:2)。主イエス・キリストが来てくださって、私たちを御自身に似た者へと造り替えてくださいます。もう二度と罪を犯さないことへと造り替えられ、完成させられます。今の私たちは、その意味で、まだ本当の私たち自身ではなく、本来あるべき自分にまだなることができていないのです。

 この世界も同じです。私たちはこの世界の有様を見て嘆きます。さまざまな災いが起こります。私利私欲と不正にまみれたニュースを見聞きします。けれども、この世界がこのまま放置されるのではありません。いまだ未完成なのであり、主イエス・キリストが来たりて、キリストに結ばれた神の子たちが天の栄光に入れられるとき、この世界も罪と腐敗から解き放たれ、新しくされます。使徒パウロが語ったように、被造物は神の子どもたちの栄光に輝く自由にあずかることを待ち望んでいるのであり、共に産みの苦しみを味わっているのです(ローマ8:19-22)。

 それゆえ、この世の罪と腐敗を声を大にして嘆くのではなく、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい」(ヨハネ14:1)とおっしゃった主イエスの御声に聞いて静まります。私たちの為すべきことは、主イエス・キリストの体であり、聖霊の宮であるキリスト教会の枝とされて、信仰生活に励むことです。神を神とする礼拝を重んじて歩み、そこに堪え忍びます。そうして私たちは終わりの時の裁きに耐えうる者とされます。それは、礼拝こそ、主なる神を信じて神をほめたたえるわざこそ、私たち人間の本来為すべきことであり、永遠に続く営みだからです。神によって造られ、生かされていることを喜ぶ。そこに私たち人間の本来のあり方があります。心騒がせることなく、「主イエスよ、来たりませ」と祈り、主の御声に聞く礼拝をささげて歩みましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。