日曜朝の礼拝「恵み深い主に感謝せよ」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

恵み深い主に感謝せよ

日付
説教
望月信牧師
恵み深い主に感謝せよ
慈しみはとこしえに」と
主に贖われた人々は唱えよ。
主は苦しめる者の手から彼らを贖い
国々の中から集めてくださった
東から西から、北から南から。(1~3節)

詩編 107編1節~43節

この説教要約には音声ファイルはありません

 「恵み深い主に感謝せよ」。この詩編は、主の御業に感謝して賛美することへと私たちを招いています。まず第一に心に留めたいことは、主の恵みの御業を数え上げることです。

 この詩は、主の恵みの御業として、四つの苦難からの救いを数え上げています。一つ目は4節から9節で、歩むべき道を見失い、さまよってしまう苦しみです。私たちは人生の歩みの中で、自分がどこから来て、どこへ向かうべきなのか、見失ってしまうことがあります。けれども、その苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は苦しみから救ってくださった。まっすぐな道に導いてくださったと言います。二つ目は10節から16節で、貧しさと孤立の苦しみです。貧しさと孤立の中で、人は暗闇と死の陰におびえる苦しみを経験します。三つ目は17節から22節で、病の苦しみです。病は私たちの苦しみの大きな部分を占めていて、病を通して私たちは既に死の苦しみを味わいます。しかし、神の御言葉には病から立ち直らせる力があると言って、主をほめたたえます。

 四つ目は23節から32節で、事業に乗り出し、失敗してしまう人間の姿を示しています。船で海にこぎ出すように、さまざまな計画を立てて事業に乗り出します。それは一時は天上に昇ったように成功するかもしれません。しかし、真実には酔った人のようなものであり、たちまちよろめき、揺らいでしまう。嵐の前に人間の知恵は呑み込まれてしまい、人間の知恵の愚かさを知る苦しみを味わうのです。けれども、そのような中でも、苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は苦しみから救ってくださった。主は嵐を沈黙させ、しかも望みの港、希望のある港へと導いてくださった。そう言って、主をほめたたえよと歌います。

 これら四つが私たちの苦しみのすべてだというわけではありません。けれども、代表的なものとしてこの四つが取り上げられており、詩編は、この四つを通して、どのような苦しみからも救い出してくださる主をほめたたえることへと、私たちを招いています。主はいつくしみ深く、驚くべき御業を成し遂げられる。主に感謝せよ、主を賛美せよ。

 ここで大切に心に留めたいことは、主の恵みを数え上げるとは、決して単純に良い出来事を数え上げることではなく、自分を振り返ることへと私たちを導き、私たちに悔い改めを促すものである、ということです。四つ目が人間の計画や知恵の愚かさであったように、私たち自身は愚かであるにもかかわらず、主がそこから私たちを救い出してくださった、ですから、そこには神の知恵、神の御計画を求めて歩まねばならないという悔い改めがともないます。自らの怠惰や不信仰な有様を率直に告白し、「主の守りの御手に支えられて、今あるを得ている」、そう告白して、主に栄光を帰すことが求められていると言えるでしょう。

 33節以下で、物事を造り変え、ひっくり返される神の御力が賛美されています。「主は大河を荒れ野とし、水の源を乾いた地とし」とあり、神は審きの御業を行われます。その一方で、「主は荒れ野を湖とし、砂漠を水の源と」されるのであり、祝福を与える神の恵みの御業が示されています。神のこの逆転の御業によって、私たちは苦難から救い出されます。それは、罪の内に死すべき者であるところから、永遠の命に生きるものとして造り変えられているのです。荒れ野を湖とし、砂漠を水の源とされる神が、今や御子イエス・キリストを救い主として与えてくださいました。私たちの苦難よりも、この世界の暗闇や死の陰よりも、神のこの御力のほうが強く大きいのです。神のいつくしみと神の愛のほうが圧倒的に強いのです。主なる神とその恵みの御業に目を注いで、私たちの一年を守り支えてくださった主に感謝と賛美をささげましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。