日曜朝の礼拝「葬られ~使徒信条18~」

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葬られ~使徒信条18~

日付
説教
望月信牧師
夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。(57~60節)マタイによる福音書 27章57節~61節

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 十字架で処刑された者の体は、通常そのまま野ざらしにされて、鳥の餌食にされます。普通、息を引き取るまでに二日三日かかるため、生きながらにして肉を鳥についばまれるのだそうです。主イエスの場合、お体が弱っていたからでしょう、午後三時頃に息を引き取られました。そして、総督ピラトは、主イエスがねたみによって訴えられたことを知っていましたから、見せしめの必要を認めなかったのでしょう。アリマタヤ出身のヨセフがお体の引き取りを願い出ると、ピラトはただちに主イエスのお体を十字架から降ろし、ヨセフに引き渡しました。

 アリマタヤのヨセフは主イエスの隠れた弟子だったようです。このとき、十字架のもとにとどまっていたのは女性たちだけでした。日が暮れると安息日になり、遺体を降ろして葬ることができません。なるべく早くお体を十字架から降ろして葬りたいと願ったでしょう。けれども、女性たちはお体を引き取る交渉をする立場を持ちません。そこにアリマタヤのヨセフが登場します。彼は金持ちであるだけでなく、ユダヤの国会議員でもありました。彼は自分の立場を考えて主イエスの弟子であることを隠していました。けれども、このときのためにこそ自分は主イエスの弟子とされていたのだと考えたのでしょう。彼は覚悟を決めてピラトと交渉し、主イエスのお体を引き取ります。彼は、おそらく女性たちの見守る中、主イエスのお体をていねいに拭き、きれいな亜麻布に包んで葬りました。こうして、主イエスのお体はていねいに丁重に葬られました。

 わたしは、これらの背後に父なる神の不思議な導きがあり、神の御計画があったのだと思います。そして、それは、父なる神の憐れみにほかなりません。御父は、十字架につけられて死なれた独り子イエス・キリストを慈しみ、愛して、憐れんでおられる。そう思います。

 主イエス・キリストの葬りには大きく二つの意味があります。一つには、葬りとは塵に返ることにほかなりません。最初の人アダムが罪を犯して堕落した、その罪ゆえの呪いとして塵に返ります。葬られることによって、私たちの受けるべき刑罰をその極みまで味わってくださったと言えるでしょう。そして、もう一つとして、父なる神の憐れみを見いだすことができます。主イエスは十字架上で「成し遂げられた」と言って、息を引き取られました(ヨハネ19:30)。神の刑罰はすべて終わったのです。葬られて肉体は塵に返りますが、同時に、神の憐れみが明らかにされます。父なる神は、御子イエス・キリストのお体を放置することをよしとされず、葬りのわざにおいて御自身の憐れみをあらわされました。

 私たちの場合にも、葬りには大きく二つの意味があります。一つには、肉体はやがて塵に返ります。朽ちて塵に返らなければならない。その厳粛な事実に目を向けて、与えられている命の尊さを認め、命の主である生けるまことの神をほめたたえます。もう一つ、私たちにおいても葬りは憐れみのあらわれるところです。主イエス・キリストが死んで葬られ、罪の呪いをすべて引き受けてくださいました。それゆえ、主イエス・キリストに結ばれている者は、キリストと共に死に、キリストと共に葬られたのであって、私たちは神に対して生きる者とされています。私たちは主イエス・キリストにある新しい命、永遠の命の希望に生きるのです。それゆえ、私たち場合も、葬りは神の憐れみのわざにほかなりません。私たちが愛する者を葬るときには、互いに憐れみをあらわして丁重に葬り、その方の命を命の主であるお方の憐れみ深い御手にゆだねます。

 死と葬りに備えることが大切に勧められる時代です。私たちのために十字架につけられ、死んで葬られたお方がおられる、そのことを知ることこそ、私たち自身の死と葬りのための何よりの備えにほかなりません。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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