日曜朝の礼拝「神の愛と真実」

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神の愛と真実

日付
説教
望月信 牧師
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。ヨハネによる福音書 3章16節~17節

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 クリスマスは、子どもたちにとって、プレゼントがもらえる大切な機会です。プレゼントをもらうと嬉しい。それは、その背後に気持ちがあるから、心がこもっているからです。子どもがプレゼントを喜ぶ、それはプレゼントそのものが嬉しいだけでなく、そのプレゼントを通して、親の愛情や贈る人の気持ちを受け取っているから嬉しいのだと思います。その意味で、プレゼントは心をこそ大切に受け取るものなのでしょう。

 クリスマスは、そのような心のこもったプレゼントが与えられたことを、大切に心に留めるひとときです。それは、天の父なる神が、私たちにもっとも必要で、もっとも大切な贈り物をくださったことを、深く心に留める時なのです。「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された」。天の御父は、ご自分のもっとも大切な独り子を私たちにくださった、と言います。ですから、飼い葉桶に寝かされた男の子の誕生は、ただ普通に男の子が生まれたということではありません。

 ヨハネ福音書の冒頭に、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」とあります。ヨハネ福音書は、言と呼ばれる、神と共にあるお方が、人間を照らすまことの光として世に来られた、世に来て、すべての人を照らしてくださるのだと言います。すなわち、神の独り子であり、御父とともに初めからおられたお方が、神であることに固執せず、低くへりくだって、人として生まれてくださった。それが降誕の出来事なのです。永遠からおられる神の独り子であるお方が、幼子として与えられた。そこに、クリスマスのもっとも大きなプレゼントがあります。

 それでは、そのプレゼントにどんな気持ち、どんな心が込められているのでしょうか。一つは、まず、プレゼントを差し出す、その行為そのものに、神の思いが込められています。聖書の神は自ら行動するお方であり、ご自分のお気持ち、私たちを愛する愛を、プレゼントを贈るという仕方で積極的にあらわしてくださるお方です。ご自身の独り子を与えるとは、独り子ももちろん神なのであって、ご自分を与えるに等しい事柄です。三位一体の神ご自身が私たちへと身を乗り出して、ご自身を与えることによって、私たちへの愛をあらわしてくださったのです。

 もう一つには、プレゼントそのものである主イエス・キリストに神の愛と真実がこめられています。主イエスは十字架につけられて、死んでくださいました。そのことによって、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」、このことが成し遂げられたのです。キリストの十字架の死は、決して主イエスご自身の罪のゆえではなく、私たちの罪のゆえでした(イザヤ53章)。私たちは、神の御前にそれぞれ自分勝手な方角へと迷い出している、罪人にほかなりません。神は、その罪をどのように取り扱うべきなのか、悩まれたに違いありません。神は義なるお方であり、罪を見逃すことができるお方ではないからです。罪を見逃すことは無責任であり、それでは真の正義と秩序を打ち立てることができません。それゆえ、神は、ご自身の深い熟慮に基づいて、私たちにご自身の独り子を与え、そのキリストの十字架の死によって私たちの罪を滅ぼし、ご自身の愛と真実を貫いてくださったのです。

 クリスマスは、救い主の御降誕の出来事を通して、この神の愛と真実を受け取る時にほかなりません。そして、その神の愛と真実によって新しくされて、私たち自身、愛と真実に生きることへと大きく方向転換させられるのです。愛と真実が失われて久しいと思われるこの世界に、神は、大きな大きなプレゼントをくださいました。それは、愛と真実に生きる人生こそ、神に祝福される素晴らしい人生なのだというメッセージです。この神の愛と真実に固く立って、歩み続けようではありませんか。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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