日曜朝の礼拝「獅子の口を閉じる神」

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獅子の口を閉じる神

日付
説教
望月信牧師
さて、王国を継いだのは、メディア人ダレイオスであった。彼は既に六十二歳であった。ダレイオスは、王国に百二十人の総督を置いて全国を治めさせることにし、また、王に損失がないようにするため、これらの総督から報告を受ける大臣を三人、その上に置いた。ダニエルはそのひとりであった。ダニエルには優れた霊が宿っていたので、他の大臣や総督のすべてに傑出していた。王は彼に王国全体を治めさせようとした。大臣や総督は、政務に関してダニエルを陥れようと口実を探した。しかし、ダニエルは政務に忠実で、何の汚点も怠慢もなく、彼らは訴え出る口実を見つけることができなかった。それで彼らは、「ダニエルを陥れるには、その信じている神の法に関してなんらかの言いがかりをつけるほかはあるまい」と話し合い、王のもとに集まってこう言った。「ダレイオス王様がとこしえまでも生き永らえられますように。王国の大臣、執政官、総督、地方長官、側近ら一同相談いたしまして、王様に次のような、勅令による禁止事項をお定めいただこうということになりました。すなわち、向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる、と。王様、どうぞこの禁令を出し、その書面に御署名ください。そうすれば、これはメディアとペルシアの法律として変更不可能なものとなり、廃止することはできなくなります。」ダレイオス王は、その書面に署名して禁令を発布した。(1~10節)ダニエル書 6章1節~29節

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 メディア人ダレイオスがバビロニア帝国を受け継ぎました。ダレイオスは、すでに80歳くらいになっていたと推測されるダニエルを、首相のような立場に任命しようとしました。すると、それをねたむ人たちがいて、ダニエルは罠にかけられてしまいました。彼らの悪巧みにより、「王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる」という新しい法律が定められました。ダニエルは、その新しい法律をもちろん知っています。けれども、主なる神への祈りを欠かすことはできませんから、いつものとおり祈りをささげます。こうして、ダニエルは、獅子の洞窟に投げ込まれることになりました。ダレイオスは、新しい法律がダニエルを陥れるためであったと気づきましたが、時すでに遅し、ダニエルを助けることはできません。

 ダニエルはどうなったでしょうか。翌朝、洞窟から引き出されると、その身に何の害も受けていません。この獅子の洞窟は、神の裁きにゆだねられることを意味していたと推測されます。死んで当然の状態に置かれて生き延びることができたなら、それは神によって無罪だと認められたのである、という理解です。それゆえ、ダニエルは「神様に対するわたしの無実が認められたのです」と言います。そして、逆にダニエルを陥れようとした側の罪が問われて、獅子の洞窟に投げ込まれます。聖書の箴言に、「悪を蒔く者は災いを刈り入れる」(22:8)とある通りです。

 二つのことに目を留めましょう。一つは祈りの力です。普通ならば、「獅子の洞窟に投げ込まれる」と聞いて、落ち着いてなどいられないでしょう。けれども、彼は心を定めて揺れ動くことがありませんでした。そのような心の平安は祈ることに由来します。祈ることに支えられて、ダニエルは平安の内に守られ、神を信頼して耐え忍ぶことができました。祈りにおいて、もちろん祈りが聞かれ、願いがかなうことが求められます。しかし、それだけでなく、祈りとは私たちの信仰を強めて、苦しみを耐え忍ばせることにも力があります。不安にさいなまれたり自暴自棄になることなく、前向きで開かれた姿勢に私たちをとどまらせる。私たちの姿勢をまっすぐにして、たとえしばらく苦しんだとしても、神のみもとにある永遠の栄光へと招き入れられる幸いを見つめる者とします。

 もう一つは、このダニエルの生き方が今日のキリスト者の生き方の模範となるということです。ダニエルは職業的な預言者ではありません。けれども、ダレイオスは、「この神は生ける神、世々にいまし、その主権は滅びることなく、その支配は永遠」とメディアの全地に書き送るに至りました。彼はダニエルを通して主なる神の御力を認めることへと導かれました。仕事にも神に仕えることにも忠実であった彼の姿が彼への信頼となり、それが主なる神へと目を向けさせることとなったと言えるでしょう。「ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である」(ルカ16:10)と言われる通りです。私たちは、神を礼拝することに忠実であると同時に社会的な営みにおいても忠実に力を尽くします。そうして、自らの業を生きて働いておられる神にゆだねます。神が私たちを通して働いてくださる。私たち信仰者は、そう期待することができるのです。

 この出来事は、世界の歴史が激しく揺れ動く中で、主なる神ご自身がご自分の民を不思議な仕方で守り導いておられることを明らかにしています。バビロン捕囚の民が捕囚の地で祈りをささげる信仰生活を保つことが守られたからこそ、やがてエルサレムに帰ることができたのであり、やがて時満ちて神の御子がベツレヘムにお生まれになりました。主なる神は、たとえ異教の地にあってもご自身の民を守り、また、ご自身の御業を確かに成し遂げていかれる、生けるまことの神にほかなりません。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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