日曜朝の礼拝「万物の終わりとノアの洪水」

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万物の終わりとノアの洪水

日付
説教
望月信牧師
 これはノアの物語である。その世代の中で、ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。ノアには三人の息子、セム、ハム、ヤフェトが生まれた。
 この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地を御覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた。神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。」(9~13節)
 「わたしはあなたと契約を立てる。あなたは妻子や嫁たちと共に箱舟に入りなさい。」(18節)
 ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(22節)創世記 6章9節~22節

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 ノアの洪水は、ただ単にすべてを滅ぼす、滅びの物語ではありません。主なる神はノアを選び出し、ノアとその家族を洪水から救い出すことを計画されました。ですから、洪水の物語は救いの物語でもあります。この物語は、ノアにおいて示された神の救いの歴史にほかなりません。

 まず、洪水による滅びは、神ご自身の決断であると同時に、人間が自ら招いたものと言うべきです。「見よ、それは堕落し、すべて肉なるものはこの地で堕落の道を歩んでいた」の「堕落」には「滅びる」という意味があり(13節の「滅ぼす」が同じ言葉)、「見よ、それは滅びており、すべて肉なるものはこの地で滅びの道を歩んでいた」と訳すことができます。「すべて肉なるものを終わらせる時が」も、原文では「すべて肉なるものの終わりが」です。神が「終わらせる」というよりむしろ、「すべて肉なるものの終わり」そのものが来ているという文章です。

 聖書は、人間は自ら滅びに向かっていて、すでに滅びているも同然であると言っています。人間が罪に傾いているとは、自ら滅びに向かっているということなのです。実のところ、神は、その人間を愛して憐れみ、忍耐して、罪の広がりを押しとどめ、滅びから守ってこられた。人間の堕落以来、神と人間との関係は、むしろそのようなものなのです。そうであるならば、たとえ神がその憐れみと忍耐を終わりにされたとしても、それを人間が非難することはできない、そう言わざるを得ないでしょう。

 「万物の終わり」はこうして来ました。そして、「万物の終わり」はノアの洪水だけではありません。人間は今も自ら滅びの道を歩んでおり、神は人を愛して憐れみ、忍耐しておられます。けれども、神の憐れみと忍耐が終わる時が来る。その厳しさを心に留めなければなりません。

 万物が滅びに向かう中で、主なる神はノアを選んで召し出されました。ノアは神に召し出されて、「神と共に歩んだ」と言われるように、神の導きに従う人生を歩みました。それゆえ、「無垢な」と言われます。また、その召しは、ノア一人ではなく、ノアとその家族を含みます。それゆえ、「契約」と言われます。こうして、主なる神は、ノアとノアに連なる人たちを神に従う歩みへと召し出しておられるのです。その意味で、この洪水の出来事は、神に召されて契約に加えられた者たちが終わりの時にも守られて救いに入れられることは確かであると、明らかにしています。

 ここで命じられたことは、ノアにとって不可解であり、愚かに思えるものだったでしょう。「箱舟」は、通常、「籠」と翻訳される言葉です。大きさこそ非常に大きいのですが、舵も動力もないただの大きな細長い四角い箱であり、荒波に翻弄される籠なのです。海辺でもない場所で、雨も降らない内から、そのようなものを造るとは、愚かに思えたでしょう。周りの人たちから嘲られたでしょう。けれども、ノアは、主なる神を礼拝し、神に仕えることとして、箱舟を造りました。ここに主なる神がおられる。このお方を礼拝し、このお方にわたしは従う。箱舟が水に自らをゆだねるように、主なる神に自らの人生をゆだねる。こうして、箱舟は、主なる神を信頼する信仰の告白として造り上げられました。そして、実に、礼拝を通してこそ、主なる神は、御自身に従う者を召し集め、終わりの時を堪え忍ばせて、新天新地へと導き入れてくださいます。

 召し出してくださった主なる神に感謝して、ノアは求められたことに忠実でした。主なる神に信頼して歩んだのです。私たちも、ノアと同じく信仰者として終わりの時代を生きることへと召されています。私たちは、神に召されて、この世に倣うのではなく、むしろ心を新たにして、神の御心に聞き従うのです。キリストに結ばれて神を礼拝し、神の御言葉の愚かさに立ち続けるところに、今も新天新地に至る道が開かれています。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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