日曜朝の礼拝「肉に頼らず」

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肉に頼らず

日付
説教
望月信牧師
あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい。彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです。とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。フィリピの信徒への手紙 3章2節~6節

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 「主において喜びなさい」と教え励ました使徒パウロは、それに続いて、主にある喜びを消し去ってしまう者たちを警戒するよう教えています。「あの犬ども」「よこしまな働き手たち」「切り傷に過ぎない割礼を持つ者たち」と三つの言い方をされていますが、同じ一つのグループで、おもにユダヤ人キリスト者で、とくに割礼に固執している人びとだと思われます。キリストによって罪赦されて神の民とされるのはよいが、割礼も必要だと主張して、彼らは、異邦人のキリスト者に割礼を受けることを求めていました。見かけ上はキリストの証し人なのですが、実際には福音の真理を歪めていて、そのため「よこしまな働き手」と呼ばれます。

 具体的には、彼らは肉に頼ることで、福音の真理を歪めてしまっていました。「肉」とは私たち自身を指して用いられます。肉そのものは、本来、決して悪いものではありません。主なる神は、私たちを極めて良いものとして造ってくださったのです。しかし、罪に陥って、私たちは絶えず罪に傾くものとなりました。そうして、主なる神に依り頼むのではなく、自分の持っているものに依り頼むようになっている。生まれながらのものもあれば、努力して獲得したものもあるでしょう。それらは本来良いものにほかなりません。けれども、主なる神から離れて、自らの持てるものに依り頼んでしまう。それが「肉に頼る」ということです。

 パウロは、その具体的な実例を示すために、「肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない」と言って、5節6節で自分のことを取り上げます。それは、パウロが今もそれらを誇りに思っているということではありません。パウロは続く7節で、「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失とみなすようになったのです」と言います。ですから、パウロがここで言いたいことは、それら肉に頼るのではない、人間的な自分の持てるものに頼るのではない、ということです。

 彼らは割礼に固執することによって、いわば十字架に割礼を加えました。十字架だけでは不十分だということです。そして、ひとたびそのようなことをし始めると、割礼でも不安だから、律法を熱心に守られなければならない、そう考えて、律法の義、自分自身の行いの義を求めることになるかもしれません。事実、ユダヤ人は、律法にさらに細かな戒律を加えて、人間の掟で自分たちをがんじがらめにしていました。そうであってはならない。私たちには、神の御前に何か良いものはまったくないのであって、そのため、主なる神がご自身の独り子さえ惜しむことなく与えてくださったのです。御子を十字架に引き渡して、御子において私たちの罪をすべて償わせてくださいました。そればかりか、キリストの義によって私たちを義とし、永遠の命、天の御国に入れられる幸いをも与えてくださいました。神の恵みのみなのです。

 パウロは、「わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らない」と言いました。自分を誇るのではなく、ただキリストを誇る。キリストのみに依り頼みます。そうして、真実に神の霊によって礼拝することが大切です。神の霊による礼拝、それは、神の霊に導かれ、神の御前に真実に罪を悔い改めてささげられる礼拝です。

 主なる神は、私たちの持てるものによって私たちを愛してくださるのではありません。主なる神は、ご自身の自由な愛をもって私たちを愛して、慈しんでくださいます。私たちは、その神の愛に心打たれて、主なる神を畏れ敬い、真実の悔い改めをささげて礼拝します。そして、主がただご自身の愛によって私たちをご自分の喜びとしてくださいますから、私たちも主のものとされていることを感謝をもって喜ぶのです。神の御前に真実に悔い改めをささげて、主を喜びとして歩んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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