日曜朝の礼拝「主において喜びなさい」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

主において喜びなさい

日付
説教
望月信牧師
では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい。同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。フィリピの信徒への手紙 3章1節

この説教要約には音声ファイルはありません

 「喜ぶ」ことは、フィリピ書に限らず、聖書全体の主題の一つです。キリスト教では神から与えられる救いを「福音」と呼びます。「喜びの知らせ」という意味です。救い主が与えられて罪の縄目から解き放たれる、聖書は、この喜びの知らせを告げる書物にほかなりません。ですから、パウロは「喜びなさい」と教えます。キリスト教信仰は喜びの信仰です。

 その一方で、私たちキリスト者の信仰生活が実際にどれほど喜びに満ちたものになっているのだろうか。そんなことを思わされます。私たちが福音の喜びを態度や表情で十分に表すことができないのは、まだキリスト者として未熟だということでしょう。それは、地上にある限り、本当の喜びを追い求めているというものであり、「既に捕らえた」と言えるようなことではないのであろう。そんなふうにも思います。生涯をかけて福音の喜びを追い求める。それが私たちキリスト者の歩みなのです。

 とりわけパウロが「主において喜びなさい」と勧める喜びは、私たちの通常の喜びとは違う、まったく新しい喜びです。「主において」とは英語では"in Christ"で、主イエス・キリストに結ばれて、主イエス・キリストを土台として、ということです。それは、もともと私たちは"in Christ"ではなかった、主なる神を知らず、キリストから遠く離れて生きていたのです。そこから主イエス・キリストに結ばれて生きることへと新しくされました。そうであるならば喜びも変わります。以前は、この世の生活を楽しみとし、この世の喜びを喜びとしていました。そのところで味わう喜びが確かにありました。しかし、まったく新しい喜びがある。キリストに結び合わせられたことそのものの喜びです。キリストによって神のものとされたゆえの喜びです。実のところ、この喜びは生まれながら私たちの身に付いているものではなく、信仰者とされて初めて知る喜びです。ですから学ぶ必要があります。御言葉を通して何を喜びとして生きるのかを学ぶ。そうしてこそ、この新しい喜びを味わうことができます。

 ルカによる福音書15章の三つのたとえ話を思い起こします。失われたもの三部作と言われ、興味深いことに、失われた側の回復された喜びではなく、見つけ出した側の喜びが描かれる点が共通しています。見失った羊のたとえでは、羊を見つけ出した羊飼いの喜びが示されます。放蕩息子のたとえでは、息子を迎え入れた父親の喜びが描かれます。そのことを通して、御父が喜んでおられる、神の御前から失われた私たち罪人が立ち帰ることを、何よりも御父ご自身が喜んでおられることが示されます。私たちが主において喜ぶとは、この天の御父の喜び、私たちを捜し出し、背負って連れ帰り、ご自身のものとしてくださる神の喜び、天上の喜びを、私たちも共に喜ぶということです。主にあって喜ぶべき喜びは、父なる御神の喜びを私たち自身の喜びとすることです。天に喜びが響いている。私たちは、その喜びに地上で共にあずかります。

 私たちの通常の喜び、地上の喜びは、時が過ぎるとともに色あせ、朽ちていくでしょう。しかし、天の御父が私たちのことを喜びとしてくださっている喜びは、永遠に失われることがありません。たとえ私たちが何もできなくなったとしても、主なる神は変わることなく私たちを担い、背負い、救い出してくださいます。私たちを天の御国に招き入れ、喜びの食卓に着かせてくださいます。そして、羊を見つけ出した羊飼いが友だちや近所の人を招いて一緒に喜んでくださいと言ったように、この喜びは分かち合われ、共に喜ぶべき喜びです。主にある兄弟姉妹と共に喜びを分かち合います。また、この喜びに多くの人たちを招き入れるよう努めます。そこに私たちの信仰生活があります。救いの喜びを示して、福音の良い証しを立てることに共に励んで参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。