日曜朝の礼拝「神の憐れみに生かされて」

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神の憐れみに生かされて

日付
説教
望月信牧師
ところでわたしは、エパフロディトをそちらに帰さねばならないと考えています。彼はわたしの兄弟、協力者、戦友であり、また、あなたがたの使者として、わたしの窮乏のとき奉仕者となってくれましたが、しきりにあなたがた一同と会いたがっており、自分の病気があなたがたに知られたことを心苦しく思っているからです。実際、彼はひん死の重病にかかりましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました。そういうわけで、大急ぎで彼を送ります。あなたがたは再会を喜ぶでしょうし、わたしも悲しみが和らぐでしょう。だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。
フィリピの信徒への手紙 2章25節~30節

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 エパフロディトは、フィリピ教会から使徒パウロのもとに遣わされた人物です。4章18節に「そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています」とあり、フィリピ教会はパウロのための支援物資をゆだねてエパフロディトを送り出しました。それを届けてエパフロディトはパウロのもとにとどまり、パウロの協力者として働く予定だったのでしょう。ところが、エパフロディトは病気になりました。「ひん死の重病」「死ぬほどの目にあった」のであり、パウロを助けるどころか、パウロに心配をかけ、自分が助けを必要とする状況に陥りました。

 パウロが手紙を書いているこのとき、すでにエパフロディトは病気から快復していたようです。しかし、彼は心苦しい思いを抱えていたでしょう。フィリピの人たちの思いも複雑で、一日も早く元気になるように祈り願い、しかしまた、病気になった彼のことを苦々しく思うこともあったかもしれません。パウロは、その中でエパフロディトを送り帰そうとします。とりわけ、実際にはテモテをフィリピに遣わすことができず、エパフロディト一人を送り出すことになり、このフィリピの信徒への手紙もエパフロディトの手でフィリピ教会に届けられたようです。そのため、エパフロディトへの配慮を求めて、この手紙を書いたと推測されています。

 エパフロディトは病気で倒れましたが、それは決して失敗や挫折ではありません。キリストに仕えて真剣に奉仕し、その中で病気になったのですから、それは決して責められるべきではない。パウロは言います。「神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、わたしをも憐れんで、悲しみを重ねずに済むようにしてくださいました」。すなわち「神の憐れみを見よ」ということです。エパフロディトは病気になりましたが、主なる神は、そのことを通してご自身の憐れみを彼に現されました。それはパウロにとっても神の憐れみを味わう出来事でした。病気という弱さにおいても神の御業が現れる。それがパウロの確信なのです。パウロは、そのことをフィリピの教会にも共有してほしいと願うのです。

 こうしてパウロは、エパフロディトの姿に神の憐れみを見ることを求めて、彼をフィリピへと遣わします。25節の「エパフロディトをそちらに帰さねばならない」とは、決して送り帰すのではなく、派遣する、遣わすということです。エパフロディトは、自らにおいて現された神の憐れみを証しするために遣わされます。エパフロディトは決して慰められるために行くのではない。もちろん、エパフロディトにとってもフィリピの人たちにとっても、互いに再会することは大きな喜びであり、慰めだったでしょう。しかし、そこで求められることは神の憐れみを明らかにすることであり、弱さにおいて神が御業を現してくださったことを証しするのです。自分の身を通して現されたキリストの恵みを宣べ伝えるのです。

 ですから、パウロはフィリピの教会に対して、「主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい」と求めます。自分の命をかけて神の憐れみを体験し、神がいかに憐れみに富むお方であるのか、神の恵みと慈しみを宣べ伝えます。そのような者を、どうして軽んじることができるでしょうか。彼は、主に結ばれている者、かつ敬われるべき者として、迎え入れられるべきなのです。

 エパフロディトに対して示されたパウロの暖かな配慮は、福音が求める配慮にほかなりません。私たちは皆、この福音の神の憐れみによって共に生かされているのです。私たち信仰者は、弱さにあって、それをただ弱さとして受け止めるのではなく、そこに主イエス・キリストの恵みと憐れみが現れることを祈り求めます。弱さにあって労苦している兄弟姉妹を互いに助け、互いに配慮する交わりを共に建て上げて参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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