日曜朝の礼拝「愛と真実のクリスマス」

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愛と真実のクリスマス

日付
説教
望月信牧師
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。ヨハネによる福音書 3章16節~17節

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 新共同訳では省略されていますが、元のギリシア語には「なぜなら」という意味の接続詞があります。「なぜなら、神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」。ここには、この前の箇所で語られたことの理由、根拠が示されています。

 ヨハネ福音書3章では、ニコデモが主イエスを訪ねてきた出来事が取り上げられています。彼はファリサイ派に属するユダヤ人で、ユダヤの国会議員です。そのニコデモに対して、主イエスがおっしゃったことが、新たに生まれるということでした。3節、「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」。ニコデモをはじめとするファリサイ派の人びとは、どのようにしたら永遠の命を得ることができるのかと考えていました。主イエスは、その問いに答えて、人は誰でも新しく生まれなければならないとお答えになりました。そこで、ニコデモは、肉体的に新しく生まれるということを考えて、「もう一度母親の体内に入って生まれることができるのでしょうか」と言います。主イエスはおっしゃいます。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」。新しく生まれるとは、聖霊によって神のものとして生まれるということにほかなりません。

 そして、生まれるとは自分の力で生まれるのでしょうか。いいえ、生まれるとは、まったくもって私たち自身の力ではありません。ニコデモは驚いたでしょう。ニコデモは、ユダヤ人の一人として、いかにして永遠の命を手に入れるのかと考えてきました。永遠の命とは、自分の力や功績、努力によって勝ち取るものであった。ところが、それは「生まれる」と言い表されることである。「生まれる」とは自分の力ではないということです。ですから、「どうしてそんなことがありえましょうか」と問わざるをえません。永遠の命を得て神の国に生きるとは、真実には、自分の力ではなく、聖霊によって与えられる神の恵みなのです。

 主イエスはおっしゃいます。「なぜなら、神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」からである。すなわち、神に愛されて、新しく生まれるのだ、ということです。私たちの力ではない。私たち自身が願い求めてではない。私たちの側には根拠はない。そうではなく、ただ神の愛によってである。神の愛ゆえである。ただただ神に愛されて、新しく生まれる者とされた。そのことを実現するために、主なる神はご自身の独り子を与えてくださいました。御子イエス・キリストを私たちに与えて、神共にいますインマヌエルを成し遂げてくださり、そして、神に背き、神から離れてしまう私たちの罪をその御子イエス・キリストに負わせて、十字架につけられ、私たちの本来なすべき償いを、すべて御子において成し遂げてしまわれました。こうして、この御子において、「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る」ことが実現しました。

 その意味では、主なる神を信じる信仰とは、神に愛されている自分をそのまま受け取る、神に愛されている者として自分自身を肯定する、ということにほかなりません。自分を誇っておごり高ぶるのでないことはもちろん、自分など愛される価値がないと思って自己卑下するのでもありません。私たちは神に愛されて生まれてきたのです。神に愛されて有るを得ている。そこに安んじてよい、そこに固く立つということが、信仰者として生きるということです。それは、なんと幸いなことでしょう。

 クリスマスは、神の御子の御降誕の記念日というだけではありません。神の子として生きる私たちの新しい命の誕生日です。神は御子イエス・キリストの命という、大きな大きなプレゼントを私たちに与えてくださいました。クリスマスを私たち自身のこととして大いに喜び祝いましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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