日曜朝の礼拝「信仰者の死と葬り」

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信仰者の死と葬り

日付
説教
望月信牧師
サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。
アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」
エフロンはアブラハムに答えた。「どうか、御主人、お聞きください。あの土地は銀四百シェケルのものです。それがあなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう。早速、亡くなられた方を葬ってください。」
アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ、エフロンがヘトの人々が聞いているところで言った値段、銀四百シェケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった。
その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。(23章1~4,14~19節)
創世記 23章1節~20節,25章1節~11節

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 ヘブロンは、アブラハムとサラがロトと別れた後、最初に移り住んで生活した思い出深い土地です。祭壇を築いて主なる神を礼拝した場所でもあります。アブラハムはこのヘブロンでサラの最期の時を大切に過ごし、サラを看取りました。そして、「アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ」とあります。信仰者はキリストにあって永遠の命を生きる者とされていますから、あまり大きく嘆き悲しまないほうがよいと言われることがあります。けれども、信仰者にとってもやはり死は別れのときであり、嘆き悲しむべき時です。嘆き悲しんでこそ、愛する者の死を受け止めることができるようになります。アブラハムもサラのために胸を打ち、嘆き悲しんだのであると、心に留めたいと思います。

 およそ30年の後、アブラハムも亡くなりました。サラの死後に再婚した妻が「そばめ」とも呼ばれることから、晩年のアブラハムには惨めな印象がつきまといます。人は年老いてなお惨めな姿をあらわにすることがあるのです。けれども、聖書はアブラハムの最後をこう締めくくります。「アブラハムは長寿をまっとうして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた」、「アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された」。アブラハムは満ち足りて死に、神の祝福は息子イサクへと受け継がれました。アブラハムは祝福の内に死ぬ者とされたのです。

 これは、年を重ねて老いていく私たちにとって、大きな慰めにほかなりません。主なる神は、ただご自身の愛と選びによって私たちを神の民に加えて、私たちを祝福してくださるお方です。もちろん、神に従う忠実な歩み、神の御心にかなう歩みを重ねたいと願います。けれども、思いもかけないような失敗をすることもある。そして、失敗をしたら、信仰者として歩んできた一切が失われてしまうのか。いいえ、決してそうではありません。主なる神は憐れみ深くも、私たちを満ち足りて死ぬ者としてくださいます。アブラハムの晩年は、私たち信仰者が神に背負われて生涯を終えることができるのだと示しています。「わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ46:4)という神の約束は、とこしえに変わることがなく、確かなのです。

 アブラハムは、自らの過ちを悔い、神の愛と憐れみを噛みしめながら晩年の時を過ごしたでしょう。そのアブラハムが見つめていたものは何でしょうか。アブラハムはサラを葬るお墓を手に入れました。粘り強い交渉の末にエフロンの畑を買い取り、マクペラと呼ばれる洞穴にサラを葬りました。アブラハム自身もやがてそこに葬られました。「マムレの前の」とあって、これは二人が祭壇を築いて主なる神を礼拝した場所にほかなりません。アブラハムは、神を礼拝し神に依り頼むことこそ人生なのだと証しして、そこに葬られることを考えたのでしょう。失敗することもあったが、自分たちの人生は主なる神に支えられて在るを得ていると言い表したのです。アブラハムはただ神を見つめて最後まで歩みました。

 そして、このマムレの前のマクペラの畑の洞穴が、やがて神の約束の御国を指し示すしるしとなりました。ここにイサクが葬られ、その子ヤコブも葬られました。その子ヨセフによってアブラハムの子孫はエジプトに移り住みましたが、ヨセフは自分の亡骸をカナンの地に葬るように言い残します。そうして、エジプトにおいてイスラエルの民は、自分たちの故郷はカナンの地にほかならないと受け継ぎました。かつて主なる神の御名を呼び、礼拝したところへ。これが約束の土地のしるしとなりました。今、私たちは、天の御国を約束の地として信仰の内に望み見て歩みます。私たちは、マクペラの洞穴、カナンの地を越える天の故郷を待ち望む信仰に生きる者とされて、私たちもアブラハムの子とされているのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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