日曜朝の礼拝「信仰者の友アビメレク」

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信仰者の友アビメレク

日付
説教
望月信牧師
ゲラルに滞在していたとき、アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやってサラを召し入れた。
その夜、夢の中でアビメレクに神が現れて言われた。「あなたは、召し入れた女のゆえに死ぬ。その女は夫のある身だ。」
アビメレクは、まだ彼女に近づいていなかったので、「主よ、あなたは正しい者でも殺されるのですか。彼女が妹だと言ったのは彼ではありませんか。……」と言った。
神は夢の中でアビメレクに言われた。「わたしも、あなたが全くやましい考えでなしにこの事をしたことは知っている。だからわたしも、あなたがわたしに対して罪を犯すことのないように、彼女に触れさせなかったのだ。直ちに、あの人の妻を返しなさい。彼は預言者だから、あなたのために祈り、命を救ってくれるだろう。しかし、もし返さなければ、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬことを覚悟せねばならない。」
次の朝早く、アビメレクは家来たちを残らず呼び集め、一切の出来事を語り聞かせたので、一同は非常に恐れた。アビメレクはそれから、アブラハムを呼んで言った。「あなたは我々に何ということをしたのか。……」
アブラハムは答えた。「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。」(1~11節)創世記 20章1節~18節

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 ゲラル滞在の出来事はエジプト滞在の出来事(12:10-20)と似ています。しかし、ゲラルは広い意味ではカナンの一部であり、アブラハムがカナンを離れたわけではありません。10節に「この土地には、神を畏れることが全くないので」とあり、まことの神を知らない土地で信仰者として孤独な歩みをしなければならないことがアブラハムにとって問題でした。

 しかし、そこでクローズアップされるのはアビメレクの誠実な姿勢です。未婚の女性を宮廷に召し入れることは当時の倫理観に照らすならば問題とされることではなく、アビメレクは誠実に生きていた人物です。ここでは、本来、神を畏れ、偽ることなく生きるべきアブラハムが偽りを語り、むしろ神を畏れることを知らない土地のアビメレクが神を畏れ、誠実に生きています。そして、「好きな所にお住まいください」と言って、アビメレクはアブラハムを大切な客人として自分の土地に迎えます。この後、アブラハムとアビメレクは契約を結んで、二人は友人になったようです(21章)。この御言葉は、神を畏れる人アビメレクを登場させ、アブラハムの友人アビメレクを紹介しているのだと言えるでしょう。

 「この土地には、神を畏れることがまったくない」。しかし、これはアブラハムの思い込みでした。むしろアビメレクは神を畏れる人です。夢の中で語りかけた神にアビメレクが答えます。「主よ、あなたは正しい者でも殺されるのですか」(4節)。ゲラルの王アビメレクはカナンの先住民の一人であり、アブラハムの神を自分の神として知っていた人物ではありません。しかし、アビメレクは「主よ」と呼んで答えました。自分の小ささや弱さを知る、謙そんな人物だったのでしょう。彼の心は神に対して開かれていました。この御言葉は教えています。主なる神は私たちの周囲に神を畏れる人々を与えてくださっています。決して私たちは神を畏れない人々に取り囲まれて孤立しているのではありません。その方々がキリスト者になるということではないかもしれません。けれども、信仰を持って生きることの大切さを知って、その生き方を受け入れてくださる方がおられるのです。目に見えないことの大切さを知り、理解を越えたことにも心を開いて、謙そんに応じてくださる方がおられるのです。

 主なる神がアビメレクに、アブラハムがあなたのために祈ってくれるだろうとおっしゃって、実際にアブラハムが神に祈りました(17節)。アビメレクは、アブラハムが悪いのではないか、自分を危険な目に遭わせたアブラハムに祈ってもらうなどとんでもないと考えるのではありませんでした。祈りなど自分には理解できないという態度でもありません。アビメレクは、驚くべき心の広さでアブラハムのことを赦して、アブラハムを受け入れ、へりくだってアブラハムに祈ってもらいました。祈りは信仰を持って祈ることが大切ですが、そればかりではありません。たとえキリスト者でないとしても、私たちの祈りに心を合わせてくださるならば、その祈りは主なる神の御前にかぐわしい香りとして受け入れられます。祈りとは、私たち人間の信仰、不信仰を越えて、聖霊なる神が働いてくださることだからです。たとえ信仰者でなくても謙そんに心を合わせてくださるならば、主なる神は必ず喜んでくださるに違いありません。

 アブラハムは、こうしてカナンで友人を得ることになりました。それも失敗を乗り越えることができる友人です。たとえ異教の社会であっても、誰も信仰を理解してくれないというのではありません。私たちには、私たちの信仰を理解して支えてくださる方々、信仰者の友となってくださる方が与えられています。信仰者以上に、人間として真実に誠実に生きようとしておられる方々がおられます。そのような方々にも支えられて、私たちは勇気をもって信仰に固く立つ歩みを続けることができるのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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