日曜朝の礼拝「その名はラザロ」

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その名はラザロ

日付
説教
望月信牧師
「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。そして、金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。」(19~23節)ルカによる福音書 16章19節~26節

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 金持ちと貧しい人ラザロが登場します。金持ちは高価な衣を着て、ぜいたくな生活をしています。ファリサイ派の中には成功して金持ちになり、国会議員になる人もいましたから、主イエスはおそらくファリサイ派の成功者の一つの姿として、この金持ちを示しておられるのでしょう。

 金持ちと貧しい人。一方はぜいたくに遊び暮らし、もう一方は物乞いをして生きるほかない。非常に対照的な二人ですが、死ということは共通です。どちらも等しく死を迎えて、しかし、そこからがまた非常に対照的です。貧しい人ラザロは天の御国のアブラハムのもとに連れて行かれ、金持ちは陰府と呼ばれる死者の世界でもだえ苦しむ者とされます。こうして、この二人の間に大逆転が起こりました。地上では宴会などに一度も出たことのなかったラザロが神の国の宴席に連なる者とされ、地上では宴会三昧だった金持ちが陰府の世界でもだえ苦しむ者となった。

 ラザロは信仰深く、金持ちは信仰がなかったということでしょうか。いいえ、この金持ちはアブラハムも天の御国があることも知る信仰者です。それでは信仰とは関係なく、偶然に過ぎないのか。いいえ、それも違います。29節に「しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい』」とあり、モーセと預言者、すなわち聖書に正しく耳を傾けていれば分かることだったのです。この金持ちは、死んでから、今さらながらに、「モーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい」と言われなければなりませんでした。

 主イエスは、もっとも重要な掟として、「あなたの神である主を愛しなさい」に加えて「隣人を自分のように愛しなさい」とおっしゃいました(マタイ22:37-40)。信仰とは神を愛することと隣人を愛すること、隣人を愛することを抜きにして神を愛することはありえないということです。

 富は誘惑であり、魔物です。信仰者であっても、いつの間にか富に捕らえられ、支配されてしまうことが起こります。「お前は生きている間に良いものをもらっていた」とある通り、この金持ちは神から富をいただいていました。しかし、「ぜいたくに遊び暮らしていた」という言葉には「自分自身を喜ばせる」という意味があります。彼は、隣人を愛するのではなく、自分自身を喜ばせることに余念がありませんでした。もし彼に隣人を愛する愛があるならば、自分の家の門前に横たわっているラザロを見過ごしにしておかなかったであろう。こうして、主イエスは、今の私たちに問いかけておられます。あなたは、神の御言葉を見過ごしにしていないだろうか、またあなたの隣人を見過ごしにしていないだろうか。

 ラザロとはヘブライ語名「エレアザル」のギリシア語読みで、「神はわが助け」という意味があります。ラザロは自分では何もできず、自分の無力を痛感する人生だったでしょう。親しい友はできものをなめに近寄ってくる野良犬だけだった。その孤独の中で、彼は神以外に頼りとするものを何も持たず、ただ神を助けとして生きていました。人の目にはまことに惨めな人生だったでしょう。しかし、このような人生こそ終わりの日にアブラハムのもとに迎え入れられる人生だと主イエスはおっしゃる。

 私たちは改めて自らを振り返らされます。富を頼りとすることが起こっていないか、隣人を愛することができているのか。とうてい大丈夫だとは言えません。そのところで、主イエスはラザロの神であり、私たちの神でもあられます。主イエスが私たちの罪ととがを背負って、十字架につけられてくださいました。その十字架のキリストが、罪と誘惑にたいへん弱く、無力な私たちを招いてくださいます。私たちは、天の御国に入ることのかなわない罪人であることを率直に認めて、ただ主イエス・キリストに依り頼むばかりです。そこに信仰者の悔い改めの歩みがあります。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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