日曜朝の礼拝「神は心をご存じである」

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神は心をご存じである

日付
説教
望月信牧師
金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った。そこで、イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。律法と預言者は、ヨハネの時までである。それ以来、神の国の福音が告げ知らされ、だれもが力ずくでそこに入ろうとしている。しかし、律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消えうせる方が易しい。妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を犯すことになる。離縁された女を妻にする者も姦通の罪を犯すことになる。」ルカによる福音書 16章14節~18節

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 ファリサイ派とは神の御言葉である律法を熱心に学び、神に従って生きようとしていた人たちだと、私たちは思っていますから、「金に執着する」という言葉に驚くかもしれません。しかし、彼らは「神と富とに仕えることはできない」(13節)とおっしゃった主イエスをあざ笑いました。彼らにとって、主なる神を信じて生きるとは、同時に生活が豊かにされ、財産も与えられることだったからです。神の掟に聞き従うならば地上の富も豊かに増し加えられると考えていたのであり、その意味で、神にも富にも仕えることができると思っていた。そのため、あざ笑ったのです。

 次に、「律法と預言者は、ヨハネの時までである」とあり、時代の転換が告げられています。律法と預言者の時代は主イエスの先駆けとして現れた洗礼者ヨハネまでであり、過ぎ去りました。今や主イエス・キリストが来られて神の国の福音が告げ知らされる時代になりました。その神の国の福音の時代の特徴が、「神はあなたたちの心をご存じである」ということです。律法と預言者の時代は過ぎ去り、けれども律法がむなしくなったのではありません。「しかし、律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消えうせるほうが易しい」。天地が消えうせることがないように、律法の文字の一画さえなくなることはありません。律法は消え去るのではなく、むしろ、より重んじられます。神は私たちの心をご存じであり、ただ人前で律法にかなっていると見えるかどうかではなくて、神がどう御覧になるのかがより厳しく問われる時代になりました。

 ファリサイ派の人たちは、律法の文言を用いて妻を離縁することができると教えていたようです。けれども、律法の本来の教えは決して離縁を認めるものではありません。ですから主イエスは、離縁して別の女を妻にする者は貫通の罪を犯すのだと厳しく指摘されます(18節)。たとえ表向きは律法にかなっているように繕うことができたとしても、決して神の御心にかなうものではない。そこには男性のよこしまな心がある。

 主イエスは、私たちの心にあるよこしまな思いを見つめておられます。神に仕えると同時に、豊かさを楽しみながらも生きることができるのではないかと思う。そこにある、私たちのよこしまな思いです。私たちは、時に、そのよこしまな思いを聖書の言葉で正当化してしまうのかもしれません。主なる神は確かに祝福を約束してくださっています。そして、地上において豊かに祝福されて、多くの富を与えられることがあります。もちろん、その富を拒む必要はありません。しかし、そこでこそ人は知らなければなりません。人は神と富とに仕えることはできない。そのことを知って、神に仕えることとして富に対して賢くふるまわなければならない。男女の関係における誘惑も同じでしょう。私たちは欲望に弱い存在にほかなりません。そのことを心に刻まなければなりません。

 いったいどうしたら、「あなたがたの心をご存じである」神の御前に立つことができるのでしょう。いったいどうしたら、信仰者として富に対して賢くふるまうことができるのでしょう。しかし、主イエスの前に立つ者は幸いです。主イエスが私たちのよこしまな思いを指摘して、私たちを新しくしてくださいます。よこしまな思いを指摘され、心を突き刺されますが、そこでこそ私たちはひとたび死ぬ者とされます。キリストと一つにされて罪に死に、キリストと共に葬られ、新しい命によみがえる者とされます。私たちの罪はすべて主イエスの十字架において償われました。そうして、主イエス・キリストの霊、聖霊に導かれて、神にのみ仕えて生きる者とされる。ここに私たちの悔い改めと新しい献身があります。主イエスの前に留まりましょう。キリストの霊、聖霊が私たちの内に働いて私たちを造り替え、真実に神に忠実に仕える者としてくださるのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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