日曜朝の礼拝「大きな喜びが天にある」

日本キリスト改革派 鈴蘭台教会のホームページへ戻る

大きな喜びが天にある

日付
説教
望月信牧師
そこで、イエスは次のたとえを話された。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(3~7節)ルカによる福音書 15章1節~7節

この説教要約には音声ファイルはありません

 新共同訳聖書の小見出しには「見失った羊」とありますが、このたとえで注目すべきは羊飼いの姿です。羊飼いの姿を通して、失われた者を熱心に追い求めて、見つけたときには大喜びする、生けるまことの神の姿が示されています。神さまは、私たちを愛して追い求めてくださっているのであり、決して私たちを悪い目に遭わせるお方ではありません。

 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて」。当時、牧場のような囲いのあるところで羊を飼うのではなく、草を求めて荒れ地をあちらこちらと移動しながら羊を飼っていました。そのような中で、「その一匹を見失ったとすれば」どうするか。主イエスはおっしゃいます。「九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」。これは、たとえ九十九匹を残してでも捜し回るに決まっている、必死になって見つかるまで捜し回るに決まっているではないかということです。それが生けるまことの神のなさり方なのです。

 九十九匹を野原に残しておくとは、それも危険なのではないか。一匹のために九十九匹を危険にさらすということであってはならないのではないか。そう思うかもしれません。けれども、これは算数の問題ではなく、あるいは経済的な合理性の問題でもありません。愛とは何かということであり、愛しているならばどういう行動をとるかということなのです。もし子どもが迷子になったなら、親は何を置いても必死に捜し回るでしょう。我を忘れ、その時していたことを放り出して、懸命に探す。そんなふうに、生けるまことの神は私たちのことを捜し求めてくださるということです。もちろん、神さまのなさることですから、残る九十九匹を本当に放り出してしまわれるのではないでしょう。私たち人間とは違い、一匹を追い求めて同時に九十九匹をも守り抜いてくださるでしょう。いずれにせよ、ここで明らかにされることは、そのようにして私たち一人ひとりを愛して追い求めてくださる神の姿にほかなりません。

 聖書が教える神、生けるまことの神は、私たちを愛してどこまでも追い求め、捜し求めるお方です。宗教や信仰は、私たちが目には見えない神を知り、神を追い求めて生きることであると思われるかもしれません。そういう面もあるでしょう。しかし、その本質において真実にはむしろ逆であり、父・御子・聖霊の生けるまことの神が私たちのことを追い求め、捜し求めて、捕らえていてくださる。その神の愛を知って、愛の神を受け入れるということが信仰なのです。神は、私たち一人ひとりに心を向けて追い求め、立ち帰ることを待っていてくださいます。そして、立ち帰ることを大いに喜んでくださる。信仰とは、その神の喜びを私たち自身の喜びとすることだと申し上げることができます。

 九十九匹を野原に残してとはむしろ危険なことではないかと申しました。真実には、その危険を神御自身が引き受けてくださいました。それが主イエス・キリストの十字架です。見失われた羊を捜し出すとは確かに犠牲を払わねばならないこと、痛みのともなうことなのです。その痛みを主イエス御自身が背負ってくださいました。主イエスはご自分の羊を担いで喜びながら帰って来られます。それは、傷を受けて血潮を流して帰って来られるのです。ですから、背負われて帰って来る羊である私たちも喜びを共にしますが、そこには同時に痛みがあり、悲しみがあります。それが悔い改めです。羊飼いへのお詫びの気持ち、感謝の気持ち、そしてその方に従って生きる献身の気持ちです。そのような思いで主イエス・キリストに背負われて歩む。そこに悔い改めの人生があります。

 大きな喜びが天にある。私たちが悔い改めて歩むことを喜びとして、御父は私たち一人ひとりの帰りを待ち、絶えず招いてくださっています。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

礼拝に来てみませんか?

鈴蘭台教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

ホームページからでしたらお問い合わせフォームを。お電話なら078-592-6875まで。お電話の場合、一言「ホームページを見たのですが」とお伝えくださると、話が伝わりやすくなります。