日曜朝の礼拝「主イエスは生きておられる」

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主イエスは生きておられる

日付
説教
望月信牧師
イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。(3節)
こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」(9~11節)使徒言行録 1章3節~11節

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 ルカは、主イエス・キリストの昇天の出来事をルカ福音書の末尾だけでなく、使徒言行録の冒頭にも書き記しました。それは、昇天の出来事がキリスト教信仰において決定的な意味を持つからです。主イエスの復活は、数多くの証拠をもって使徒たちに示された確かなことです。主イエスは、今も生きておられるお方にほかなりません。私たちが今、肉の目で主イエスを見ることはできません。けれども、それは主イエスが天に上げられたからです。主イエスは生きておられないのではなく、私たちから遠く離れられたのでもありません。御父の右に座し、今や聖霊によっていつでもどこでも私たちと共にいてくださるお方となられました。

 「天」とは神のおられるところ、神の御座です。「雲に覆われて」とある「雲」は神の臨在と栄光のしるしとしての雲です。主イエス・キリストは、神の御座である天に上げられ、神の栄光のしるしとしての雲をまとわれて、御父より栄光を受けられました。十字架につけられた苦難の救い主、罪と死に打ち勝って復活された勝利の救い主として、栄光を受けておられます。そのお方が父なる神から力と権威をゆだねられ、全地を統べ治めておられます。聖霊を遣わして地上に教会を建て上げ、私たちのために執り成して、今も力ある御業を成し遂げておられます。

 そこで大切に心に留めたいことは、使徒たちが主イエス・キリストが上げられた天を見つめて立っていたということです。白い服を着た二人の人が言いました。「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」。これは、主イエスが同じ有様で来られるだけでありません、天を仰いで見つめている私たちの姿勢も変わらないことが大切です。私たちも同じ有様、同じ姿勢で待ち望むのです。その点で、「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか」とは、「なぜ」天を見上げて立つのか、そのことに自覚的であるよう求める言葉なのだと言えるでしょう。

 なぜ天を見上げて立つのか。第一には、私たち信仰者、キリスト者の信仰の土台、根拠が地上ではなく天上にある、神のみもとにあるからです。私たちの罪を背負って死んでくださった主イエスが御父によって受け入れられ、その右に座す者とされています。だからこそ、私たちも神によってすべて受け入れられ、やがて高く引き上げられる、私たちも天の御国へと召されると確信することができます。上げられたキリストは、私たちの罪の赦しのしるし、また保証にほかなりません。天上のイエス・キリストを仰ぐときにこそ、私たちは平安の内に憩う者とされます。

 第二には、上からのものに期待して、神の恵みに依り頼むからです。旧約の神の民は、祈るときにしばしば手を上げて、天を仰いで祈りました。それは神の御業を待ち望む姿勢です。今、私たちは天を仰いで、何よりも主イエスが約束された聖霊を待ち望みます。その姿勢があったからこそ使徒たちは心を一つにして熱心に祈ったのであり、また、事実、祈る群れに聖霊が降って、福音を宣べ伝える民とされました。このときの使徒たちは、なお「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねたように、主イエスについて誤解していました。それにもかかわらず聖霊が注がれ、福音宣教に遣わされます。主イエス・キリストの証人とされて福音を宣べ伝えるとは、私たち人間の能力や知識ではなく、信仰の熱心ということでもありません。ひとえに神の恵み、神の御力であり、神の御業を待ち望む姿勢が大切なのです。

 使徒たちの姿にならって天を仰いで、上を見つめて歩みましょう。神の御業に期待して、神に対して開かれた姿勢を整えましょう。聖霊が私たちに働いて、神の器として自らを差し出して歩む者としてくださいます。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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