日曜朝の礼拝「安息日の幸い」

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安息日の幸い

日付
説教
望月信牧師
安息日のことだった。イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、人々はイエスの様子をうかがっていた。そのとき、イエスの前に水腫を患っている人がいた。そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」彼らは黙っていた。すると、イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。そして、言われた。「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」彼らは、これに対して答えることができなかった。(1~6節)ルカによる福音書 14章1節~14節

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 ある安息日に、主イエスは食事のためにファリサイ派の議員の家に入られました。おそらく主イエスが会堂礼拝で説教をして、その後、食事に招待されたのでしょう。そこに水腫を患っている人が同席していました。ファリサイ派の人がこの男を席に着かせていたと考えることもできますが、ひょっとすると招かれた主イエスがこの男を一緒に連れて来ていたのかもしれません。いずれにせよ、主イエスはこの病の男を受け入れておられます。主イエスは、この男の友また仲間であろうとしておられます。

 そして、じっと見つめて様子をうかがう律法の専門家たち、ファリサイ派の人々の心の思いを指摘しておっしゃいます。「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか」。「許されている」とは「自由である」ということです。安息日にも人をいやす自由はあるのではないか。彼らは黙っていました。主イエスを訴える材料にしようとしていたのか、下手な答えをしてはいけないと思っていたのか。いずれにせよ、主イエスは病をいやして男をお帰しになりました。主イエスはまことの神の御子であられ、人を病から解き放つ自由をお持ちであられます。

 続いて主イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子を御覧になって、婚宴に招待されたときには末席に着きなさいとおっしゃいました。私たちにとって常識的とも思えることですが、これはたとえであり、私たちの内にある人から認められたいという思い、高ぶる思いを指摘しておられます。上席に着くのは自分のことを少しでも立派に見せたいからでしょう。それはたとえ末席に着いたとしても変わらない。すなわち上席を勧められてみんなの前で面目を施すのです。遠慮していますが、本当は上席を勧めてほしい。私たちには人からの評価を求める思いがあります。

 それに対して主イエスはおっしゃいます。「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」。ここで主イエスが求めておられることは、真実に低くなることです。神の御前に小さな存在であることを知ることです。人の評価や名誉は神の御前に何の価値もありません。主なる神は、上席か末席か、そのようなことから離れたところで私たちを見ておられます。主なる神は、神ご自身のまったく自由な思いの中で、私たちを御覧になっている。自由に私たちを御覧になり、私たちを愛し抜いて、ご自身の独り子、主イエス・キリストさえ与えてくださいました。

 私たちは自らを低くして、なぜ身を低くしなければならないのかと嘆くのではありません。私たちは身を低くしたところで、神の御子でありながらご自身を低くしてしもべとなられたお方を見るのです。このお方は上席に着いていては見ることができない、人の評価や名誉を求めるところでは決して理解することができないお方です。真実に身を低くして、そこでこそ私たちは自分が一人ではないことを悟ります。苦しみを一人で背負っているのではない、主イエスが共に背負っていてくださる。誰よりも身を低くして私たちの苦しみを、私たち自身よりも深く味わって死んでくださった。私たちは十字架の主イエス・キリストを見つめます。

 この低さに立ってはじめて私たちは解き放たれます。人の評価も、あるいは自分自身の思いさえむなしくなり、自由にされます。主イエスが共にいてくださる喜び、神共にいます幸いを知るからです。そして、ただ神の御前に生きて自由であったならば、ファリサイ派の人々も共に喜ぶことができたでしょう。へりくだってしもべとなられた主イエスと同じ低さに立って、男がいやされることを喜ぶことができたでしょう。神の御前に立たせられて、自由にされて生きる、そこに安息日の幸いがあります。私たちは、神の御前に立ち、まことの人である主イエス・キリストに結ばれて、人としての真実のあり方を回復させられて歩むのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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