日曜朝の礼拝「レギオンからの解放」

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レギオンからの解放

日付
説教
望月信牧師
一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。(26~30節)ルカによる福音書 8章26節~39節

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 主イエスと弟子たちは、ガリラヤ湖を舟で渡って東岸に到着しました。そこには一人の男がおりました。おそらく異邦人です。主イエスは、この一人の男に会うために、危険を冒して湖を渡って来られました。そのほかは何の御業もなさらず、再び舟に乗ってガリラヤに帰られました。主イエスは、一人のために身を乗り出してくださるお方です。

 男は悪霊に取りつかれていました。「長い間、衣服を身につけず、家に住まないで墓場を住まいとしていた」とあり、彼は死ぬことを求めていたものと思われます。鎖でつながれ、足かせをはめられて監視されていたのも、自暴自棄になって自分で自分を傷つけてしまう、また、死に場所を求めて町から出て行くことが繰り返されたからでしょう。悪霊とは単に心の病のことではなく、死ぬことを求めてしまうということです。

 主イエスが男に名を尋ねると、悪霊が答えました。「レギオン」。ローマ帝国の軍団が「レギオン」と呼ばれていました。一個軍団は六千人から七千人の兵士で成り立っていたそうです。それほど多くのけがれた霊がこの男に取りついていた、すなわち、それほど多くの痛み、苦しみによって、この男の心が引き裂かれていたのです。悩みや苦しみがたくさんあると、確かに人の心は引き裂かれてしまいます。人生の歩みの中で、誰もがこのようなことを経験するでしょう。人間関係の破れに苦しむことがあるかもしれません。罪の意識にさいなまれることがあるかもしれません。そのような苦しみの中で、死に魅力を感じることが起こる。死ぬことに解決や逃れの道を見いだそうとすることがあるのです。それが悪霊に取りつかれるということです。このようなことは誰の身にも起こりうることです。この男の姿は、私たち自身の姿にほかなりません。

 主イエスが悪霊に男から出るよう命じると、悪霊は「かまわないでくれ」と言いました。無関心であってくれ、ということです。しかし、主イエスは決して無関心ではあられません。天の父なる御神がこの男を愛して選んでおられるからです。たとえ異邦人であっても神の愛が注がれます。それゆえ、主イエスは、この男を決して見過ごしにされません。主イエスは、悪霊が豚の中に入ることを願い出たことを用いて、悪霊どもをすべて滅ぼされました。主イエスは復活の主なのであり、罪と死の力に打ち勝っておられるお方です。人を死に引きずり込もうとするけがれた悪霊をしりぞけて、生きることを確かなものとしてくださるのです。

 こうして悪霊から解き放たれ、服を着て、男は主イエスの足もとに座っていました。これは、主イエスの御前にとどまることが人間にとって本質的であることを意味しています。主イエスの御前で、人は平安を得て、真実の自分であることができるのです。主イエスが私たちの罪を引き受けて、十字架につけられてくださいました。それゆえ、私たちはもはや罪に定められることがありません。そして、このキリストにあって、もはや罪の意識にさいなまれる必要もありません。罪の意識や良心の呵責に悩まされ、恐怖におののくことからも解き放たれるのです。

 主イエスは彼に、「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい」と命じました。まず家族のもとに帰るように。おそらくそこに彼が逃げ出していた、何かがあったのでしょう。キリストの罪の赦しの恵みをいただいて、彼は家族との関係を取り戻して、新しく生きるようにされました。また、和解の福音を伝えるという、たいへん素晴らしい、新しい使命を与えられたのです。

 この主イエス・キリストが私たちをも捜し求めて、私たちのところに来てくださいました。主イエスのもとに真実の平安があります。私たちを罪と死の力から解き放つ神の御力が、皆様の上に豊かでありますように。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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