日曜朝の礼拝「待ち続ける神」

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待ち続ける神

日付
説教
望月信牧師
そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」(6~9節)
ルカによる福音書 13章1節~9節

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 主イエスと弟子たちが話をしていたとき、一つのニュースがもたらされました。総督ピラトがガリラヤ人の血を流して、しかも神殿でささげられる犠牲のいけにえの血に混ぜたと言われます。推測では、ピラトが工事のためにエルサレム神殿のお金を流用して、それに反対するガリラヤ人を鎮圧して起こった事件とされます。神殿に逃げ込んだ彼らを追いかけて、異邦人が入ってはならない神殿の境内にまでピラトと兵士たちが踏み込んで、彼らを殺した。そして、その血がいけにえの動物の血と混ざってしまった。動物のいけにえは身代わりとして神の怒りを受けて燃やされます。殺されたガリラヤ人の血がいけにえの血に混ざったとは、彼らが神の怒りを受けて滅ぼされることを指し示しているように思われる。

 シロアムの塔が倒れて十八人が死んだ出来事も取り上げて、主イエスは、このような災難、災いが起こったのは、彼らがほかのどの人びとよりも罪深い者だったからなのか、と問われます。これは、ニュースをもたらした人がそう言ったとか、弟子たちがそう尋ねたのではありません。主イエスご自身が問いかけておられます。それは、このような問いが、たとえ信仰者であっても、心の内に浮かび上がってくるからでしょう。誰もが思わず、彼らがとくに罪深かったからなのかと思うことがあるからでしょう。これは別の言い方をすると、バチが当たるということです。災難に巻き込まれると、人のことだけでなく自分のことでもそうですが、バチが当たったのか天罰かと考えることがあります。主イエスは、そのように考えてしまう私たちのために、問いかけて教えてくださいます。「決してそうではない」とおっしゃって、教えてくださいます。

 とくに罪深いから災難に遭う、天罰を受ける。それは因果応報的な考え方です。現在の悪い状況に対して、それをもたらした何かの原因があると考えて、原因と結果の鎖に縛られてしまう考え方です。決してそうではない。決してそうではないと、主イエスは明確に否定しておられます。それは、因果応報的な考え方には救いがないからです。悪いと言うなら、人はみな神の御前に罪人であり、だれもが悪いのです。その悪い私たちが救われる、罪と悲惨の中から救い出される。そのためにこそ主イエスが来られました。そして、私たちは、悪い者であるにもかかわらず、主イエス・キリストを信じる信仰によって救われます。キリストの十字架の贖いによって、罪の赦しと永遠の命をいただく者とされるのです。

 主イエスは、たとえ話でぶどう園の園丁を登場させて、「ご主人様、今年もこのままにしておいてください。木のまわりを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません」と言わせます。ここに慈しみと憐れみに満ちておられる主イエス・キリストの父なる神の姿が示されます。世話をして実を実らせないならば、確かに切り倒されるべきでしょう。その意味では、私たちは皆悪い者であり、実のならない、切り倒されるべきいちじくの木なのです。けれども主イエスはおっしゃいます。「今年もこのままにしておいてください。木のまわりを掘って、肥やしをやってみます。……来年は実がなるかもしれません」。主なる神は、なお忍耐強く待ち続けてくださるお方であられます。

 「言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」。これは、私たちを滅ぼす言葉ではありません。忍耐強く待ち続ける神を示して、私たちを悔い改めへと招く言葉です。切り倒されるべき私たちでありますが、「待ってください」とおっしゃる方がおられて、今、私たちに悔い改めが求められています。真実の悔い改めが起こる、そのために、神はなお待ち続けてくださいます。心を静めて神の御前に真実に立ち帰ることを祈り求めて、信仰の歩みを続けて参りましょう。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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