日曜朝の礼拝「賢い管理人として生きる」

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賢い管理人として生きる

日付
説教
望月信牧師
そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。(41~44節)ルカによる福音書 12章41節~48節

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 主イエスの弟子とされて、神の御前に私たちはみな等しい存在です。同じ一人のキリスト者であり、決して誰かが偉いとか偉くないとかではありません。けれども、人が集まる集団、組織には秩序が必要です。それゆえ、主イエスはおっしゃいます。「主人が召し使いたちの上に立てて、……」。これは誰かを特別視する言葉ではなく、「忠実で賢い管理人でありなさい」と言って、主の忠実で賢い管理人として生きることへと私たちを招く言葉です。主のしもべとして主イエス・キリストの再臨を待ち望むことはもちろん幸いです。けれども、さらに忠実で賢い管理人として生きることは何と大きな幸いであろうか。「主人は彼に全財産を管理させるに違いない」と言われるほどの大きな祝福が約束されるのです。

 ですから、「召使いたちの上に立てて」とは、人としての上下ではなく、あくまで秩序として求められること、職務として求められることです。今日、私たちの教会には牧師、長老、執事という三つの職務が立てられています。ですから、牧師であるわたし自身はもちろん、長老、執事にとって、この箇所はとても大切な教えです。また、そのような役員ではない方々にとっても、この御言葉を通して役員の務めを理解し、役員を助けて奉仕し、また、役員のために執り成して祈ることができます。そうして、私たちはキリストの体としての教会を共に建て上げるのであり、役員でなくとも忠実で賢い管理人として生きることができるのです。

 さて、「時間通りに食べ物を分配させる」と言われます。食事の用意をし、給仕してもてなすことです。ですから、管理人の務めは仕えること、奉仕することです。上に立って支配し管理するのではなく、しもべとして奉仕することです。そして、これは主イエスに仕えるのであり、神の御言葉に仕えて、御言葉の食卓のために奉仕するのだと申し上げることができます。ですから、礼拝のために備えて、御言葉の食卓を提供します。私たち信仰者は神の御言葉によって養われます。その食卓に仕えて、牧師は御言葉の説教をし、長老は群れを見守って整え、執事は礼拝の環境を整えて備えをいたします。そうして、神と神の民、教会のために仕えること、奉仕することが、立てられた管理人の務めです。

 「忠実で賢い」と言われます。「忠実」とは主人にたいする忠実さです。「賢い」とは思慮深く自分の主人がどなたであるのかを知っているということです。ですから、「忠実で賢い」とは主イエス・キリストが自分の主人であることをわきまえていることです。自分の主人がどなたであるのかを忘れてしまうと、私たちは罪のゆえに、主人の存在を忘れ、下男や女中を殴るとか、主人の思い通りにしないということに陥ります。35節以下の「婚宴に出かけている主人」のたとえを思い起こします。主イエス・キリストは今、天に上げられていて、出かけておられるようなものなのです。もちろん、今も聖霊において共におられます。けれども、それは信仰においてのみ理解されることであり、私たちには自由が与えられています。主人などいないかのように振る舞うことができるのです。

 その与えられている自由を用いて、神と教会に仕えることを選び取らなければなりません。私たちの主人は、帰って来たとき、しもべたちを食事の席に着かせて給仕してくださるお方です。この主人ご自身、食卓のために仕えてくださるお方である。主イエスはまさに御言葉の食卓に仕えて、ご自身を永遠の命を与える命のパンとして差し出して十字架につけられてくださいました。私たちが御言葉によって養われるとは、この主イエス・キリストの十字架の命をいただくということです。その主に仕えて、私たちは、それぞれに与えられた立場で忠実で賢い管理人として歩みます。そうして、共に主人の帰りに備えて歩む者とされるのです。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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