日曜朝の礼拝「身体のよみがえり~使徒信条34~」

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身体のよみがえり~使徒信条34~

日付
説教
望月信牧師
死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。(42,43節)

この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた。
 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
 死よ、お前のとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。(54~58節)コリントの信徒への手紙一 15章42節~58節

 「罪の赦し」に続いて、「身体のよみがえり、とこしえの生命を信ず」と告白して、使徒信条は結ばれます。聖書において、罪と死は一つの事柄です。罪があるゆえに死もあるからです。天地を創造し、私たち人間をも造られた生けるまことの神から離れて、罪に陥っているのですから、その結果として私たちは死を刈り取らざるを得ません。「罪が支払う報酬は死です」(ローマ6:23)とある通りです。けれども、私たちの罪を主イエス・キリストが背負って、十字架につけられてくださいました。そうして私たちの罪はもはや問われません。罪が問われないのですから、死の力からも解き放たれています。こうして、罪の赦しの告げられるところで、続いて死の力に対する勝利も語られます。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか」(コリント一15:54,55)。私たちは、罪の赦しに続いて、身体のよみがえり、とこしえの生命を信じる、幸いな者とされています。

 使徒信条の歴史において、最初期には「とこしえの生命」はなく、「身体のよみがえり」の中に含まれて理解されていたと言われます。それは、身体を含めた復活が救いの完成の目標だからです。一般的に、人は体と魂から成り立っていると考えられます。肉体と霊魂、肉体と精神、体と心とも表現されます。自分の中に心の思いと肉体の思いがあって、その矛盾に苦しめられるということを思い起こせば、理解できることでしょう。肉の欲望に苦しめられることがあり、肉体の弱さに悩まされることも起こります。それゆえ、多くの宗教や哲学において、どのようにして肉体の重荷から解き放たれ、そこから逃れて自由な魂の世界、霊的な世界に向かうことができるのかということが考えられました。霊魂は不滅とされ、「肉体は霊魂の牢獄である」と言われることが起こりました。

 しかし、聖書において霊魂は決して不滅ではありません。神から離れて、霊的には死んだものとなるということがあるのです。肉体が重荷であるということも決して聖書の教えではありません。私たちの肉体には弱さがあり、いつかは塵に返ります。しかし、私たちの肉体も神が手ずから造られたものであり、神の祝福を受けるべき存在です。肉体の弱さ、悪しき欲望、塵に返ること、それらすべては人間の罪と堕落の結果です。肉体を含めて私たちのすべてが、本来、「極めて良かった」(創世記1:31)のです。それゆえ、朽ちるものが朽ちないものに変えられるということ、身体のよみがえりが与えられます。蒔かれるときには卑しいものでも、輝かしいものに復活する、身体のよみがえりが約束されるのです。

 私たちに与えられている救いの恵みは、「体も魂も」です。体も魂も神のものであり、主のものです。そして、それは私たちの体も魂も主イエス・キリストのものとされるということにほかなりません。魂がキリストのもとに迎え入れられるというだけではなく、私のこの体もキリストによって引き起こされ、キリストの栄光の御体と同じかたちへと変えられます。体も魂もキリストのもとへ、です。ここに身体のよみがえりの喜びがあります。すでに主イエス・キリストに結ばれて復活の命に生きる者とされて、私たちは、やがて体も魂もキリストの似姿として新たにされる約束と希望に立って、再び来られる主イエス・キリストを待ち望むのです。

 この信仰に立って、私たちは、自分の魂の貴さを知るだけではなく、体の貴さも知って、体も魂も大切にして生きることへと導かれます。体も魂も、どちらも主なる神の作品です。そして、聖霊によって体もきよくされて、すべてを主のものとしてささげて生きる労苦は、決して無駄になりません。身体のよみがえりを待ち望みつつ、何をするにも神の栄光をあらわして生きる人生を、共に歩んでいこうではありませんか。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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