日曜朝の礼拝「しつように祈り求めよ」

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しつように祈り求めよ

日付
説教
望月信牧師
また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。(5~8節)ルカによる福音書 11章5節~13節

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 主イエスは弟子たちに一つのたとえを語られました。旅行中の友だちが来たと言って、真夜中に友だちが訪ねてくるというたとえです。旅行しているのは友だちの友だちです。旅行している友だちを迎えた友だちが訪ねてきて、あなたはどうするか、と問いかけるたとえです。パンを貸してほしいと言われて、「面倒をかけないでください」と答えてしまう。人間の友情とは所詮そのようなものだ、ということではないでしょう。主イエスはたとえに続いておっしゃいました。「しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう」(8節)。ですから、このたとえは、しつように求めて祈ることを教えるたとえです。

 けれども、注意が必要です。主イエスは、同様に祈りを教える中で、くどくどと言葉を重ねて祈ることの危険を指摘されました。「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる」(マタイ6:7)。私たち人間の側の熱心によって神を揺り動かさなければならないとでもいうような祈りは、神が喜ばれるものではありません。しつように求めて祈るとは、神を祈り倒すような祈りではないはずです。

 「友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても」と言われます。確かに、単に「友だちだから」ということで起きてパンを与えるわけではないでしょう。しつように頼む声で子どもたちが目を覚ましては面倒だということかもしれません。けれども、真実には、そこにすでに友だちの関係が前提とされています。友だちにとって、彼が真実の友だちだから、真夜中にパンを求めて訪ねるのです。真夜中にパンを求める非常識なことをしても彼は怒らない、彼にはしつように求めることができる、そう思うからこそ、訪ねることができます。「しつように」とは、厚かましく、恥知らずに、ということです。すなわち、彼には厚かましく恥知らずに求めることができるのです。そして、彼がそのしつような求めをしりぞけることはない、そういうことでしょう。

 ですから、しつように祈るとは、天の御父を信頼して、厚かましく恥知らずに求めるということです。祈りの相手は天におられるまことの父にほかなりません。ですから、躊躇することなく何でも祈り求めてよい。

 主イエスが教えてくださった祈りは、「父よ」と呼びかけて始まります。「父」とは、幼い子どもがお父さんを呼ぶ「アッバ」という言葉です。幼子はまさに親の前で厚かましく何でも頼みますし、恥ずかしいなどとも考えません。そのように、私たちも御父に祈ることができる。御父を信頼して、自らの恥をもさらけ出して祈ることができる。自分を偽ることなく、自分の思いを注ぎ出して訴えることができる。それが、主イエス・キリストに結ばれて、神の子とされている私たちに与えられている特権にほかなりません。幼子が親の前でかっこつけることなどない。そのように、私たちも御父の前で取り繕う必要はない。祈りにおいても、取り繕うことなく、何も持たず、裸で御父の前に立って、祈り求めてよい。

 実のところ、私たちは自分では何も取り繕うことができません。何も持たないのであり、裸で神の御前に立つほかありません。それが、罪人である私たち自身の姿です。その私たちを、主イエス御自身が白い衣となって覆ってくださいます。それが、主イエス・キリストが十字架と復活によって勝ち取られた神の義が与えられるということです。私たちは、ただ主イエス・キリストのゆえに神の子とされて、祈るのみです。そこに、キリスト者の祈りの幸いがあります。主イエス・キリストに結ばれて、「父よ」と呼び、厚かましく、恥をいとわず祈りましょう。天の御父は、私たちのそのようなしつような祈りを待ってくださっているお方です。

説教要約について

説教要約は、説教を要約したものです。 音声は、説教要約の音声化ではなく、実際に行った子ども向けの説教と賛美歌、 聖書朗読と説教の録音です。一ヶ月程度、音声データも公開させていただきます。

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